振り返ってみれば、20世紀の100年間は、富国強兵、戦後復興、高度成長期、そしてグローバル経済と世界規模の弱肉強食で生き残るために、国の中央政権が中心になって経済を動かし、国家主導で莫大な投資や労働力を集約しながら国民一人一人を強くしていく事で、日本は世界に認められる経済大国へ成長しました。(1)
21世紀に入るとヒト・モノ・カネだけでは満足できず、インターネットという新しいツールを通じて、様々な情報までもが瞬時に飛び交うシステムが確立されていきます。
しかし、それは同時に山村や漁村など、競争力のない人達からも様々なものを吸い上げ、モノは増えて物理的には豊かになりましたが、地方の文化や個性は削ぎ取られ、気付けは日本中どこを見渡しても、同じような風景が並ぶ「普通の国」になってしまいました。
↑気付けば日本中、同じような風景が広がる「普通の国」になっていた (Dick Thomas Johnson)
どこを見渡しても、同じような風景が並ぶ日本を見て、人々は少しずつ違和感を覚え始め、最近の若者は海外旅行ではなく、京都や熊野古道、そして伊勢神宮など日本古来の場所を訪れる傾向が強くなっていると言います。(2)
本当の意味でのグローバリゼーションとは、すべてを世界に対してオープンにするのではなく、「ここから、ここまでは自分の国を世界にオープンにする」という線引きのことを指し、そう言った意味で、日本古来の場所を訪れる人達が増えているのは、自分たちにとって何がアイデンティティなのかをしっかり考え直す時期にさしかかっているということなのかもしれません。(3)
↑世界との線引き「自分たちのアイデンティティとは何か」(foooomio)
日本人が自分たちのアイデンティティを考え直す上で、大切な概念の一つに、現在世界各国で拡散されている“ミニマリズム”があり、これは限られた資源の中で生活必需品を賄い、決して多くのものを持たず、再利用とリサイクルという知恵によって不足を補っていた、今から約150年前の江戸時代の生活様式そのものに由来するものです。
古来、日本人の精神に刻み込まれているミニマリズムの「より良く、より少なく」の概念は、海外でも多く受け入れられており、例えば、世界最高の料理人と言われるフェラン・アドリアは伝統的な料理から余分なものを削ぎ落とし、純粋な本質だけを使って、誰も想像しなかった料理を作り上げ、さらに年間200万件の予約が殺到する有名レストランでありながら、一日50人の客しか受け入れないことを徹底しています。(4)
↑世界最高のシェフ「できるだけ数を減らして、より良く、より少なく」(Universidad de Navarra)
また、日本古来のミニマリズムは我々人間の体と心にもインパクトを与えます。アメリカンドリームを実現し、高級レストランやラグジュアリーな旅行など、誰もが認める成功者になったライアン氏ですが、ミニマリズムを通じて、自分を幸せにしてくれると信じて、手に入れてきたほとんどのものは不要であることに気付き、身の回りを必要なものだけにした後、ようやく心が豊かになったそうです。
ライアン氏が感じたように、ただ自分の贅沢のために消費をするだけでは、豊かになれない時代にさしかかっており、これからの消費は単なるモノの消費から、人間を中心としたサービスの消費に変化していき、本来の日本文化の中に組み込まれていた、消費を通じて人間関係を深くするという社会にシフトしていきます。(5)
↑人間的な関係を深いものにしていく新しい消費へ (Stephan Geyer)
ただ、現在、日本人が自らのアイデンティティであるミニマリズムの精神を忘れてしまっているのかもしれません。例えば、ヨーロッパでは女子高生がルイ・ヴィトンの財布を持つことはありえませんし、100年以上前に建てられた家に住み、100年以上前に作られた家具をそのまま使っている人達も多くいますが、日本人の多くはどれも同じように効率的に造られたマンションに住み、15分も歩けば、自動販売機やコンビニが山ほどある、そんな生活をしている人も多いのではないでしょうか。
↑自らのアイデンティティを忘れてしまっている日本人 (Antonio Tajuelo)
また、消費にしても昔は「買わせていただく」、「おまえなんかに売ってやるか」と言った現在とは違った消費者主権主義がありましたし、たいやき屋の頑固親父や売ることよりも製品の品質に徹底的にこだわる個性の集まりみたいなものがありました。(6)
恐らく、売り手と買い手の両方の考え方が変わってきたのでしょうが、ある昔を懐かしむ職人さんは次のように述べます。(7)
「使ってもらったり、見る方が見ればその違いははっきりしますのやがな。安いちゅうのには勝てませんわ。消費者の皆さんがそれでいいちゅうんやから。」
「突きつめていえば、よいものを、精一杯の力で作り、世に送り出す送り手と、よいものと悪いものを区別し選択する使い手であり続けるということでしかない。」
↑本当に良いもの提供する作り手と、それを選ぶ消費者 (Aleksandar Cocek)
明治時代、文明開化によって幕を開けた日本の西洋化は、米国の大量生産大量消費社会を取り入れ、我が国を瞬く間に世界有数の経済大国へと導き、さらには、インターネットの著しい発展により世界全体が均質化して、世の中はさらに加速しました。(8)
その後も互いが互いを追いかけるように急激に成長していった大量生産と大量消費は、新しいものにいつでもアクセスできる社会を構築させましたが、スピードを増す日々の変化に追いつこうとするあまり、わたしたちの思考は停止し、大切なものを大切にするという単純な感覚を喪失させてしまったのかもしれません。
従来日本人は、21世紀に必要な考え方をすべて持っていました。しかし、西洋の考え方を取り込みながら急成長するうちに自分たちの文化が見えなくなってしまい、現在の日本はスペインよりも欧米化していると指摘する人もいます。
もし、日本に未来があるとすれば、次の10年は自分たちのアイデンティティを取り戻すための10年になるでしょう。自身の文化を世界に広め得るのは、自身のアイデンティティを取り戻してからになりそうです。
※参考文献
1.藻谷 浩介「里山資本主義 日本経済は”安心の原理”で動く」(角川書店、2013年) Kindle P1106
2.三浦 展「第四の消費 つながりを生み出す社会へ」(朝日新聞出版、2012年) P173
3.高城 剛「”ひきこもり国家”日本」(宝島社、2009年) P44
4.グレッグ・マキューン「エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする」(かんき出版、2014年) P60
5.三浦 展「第四の消費 つながりを生み出す社会へ」P204
6.堤 清二、三浦 展「無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉」(中央公論新社、2009年) Kindle P913
7.塩野 米松「失われた手仕事の思想」(中央公論新社、2008年) P181、P291
8..三浦 展「第四の消費 つながりを生み出す社会へ」P175