改めて、知らないことは罪であると言える、熊本の現状。

2016年4月、九州の熊本県を巨大な地震が襲いました。

マグニチュード7.0。度重なる余震により数多くの家が倒壊し、多数の死者も出てしまう大きな震災となり、日本全国に悲しみがもたらされたのは、まだ、たった2ヶ月前の出来事です。

自分は2006年から2008年の2年間、OKS株式会社大泉工場に入社する直前までこの地に住んでおり、たくさんの友人が生活していることも相まって本当に心配しました(しかも震災5日前に友人の結婚式で来熊していました)。

 

そして去る2016年6月18日〜19日の2日間、東京のボランティア団体Charity.orgを運営している折尾氏とともに現地に訪れてきました。

もっとも甚大な被害を被った益城町と南阿蘇の黒川。東京のメディアでは現在、ほとんど取り上げられておりませんが、現状は、昨日震災があったのかと感じてしまうくらいの状況。倒壊した家屋の間を歩いていると、絶望感が押し寄せ、自然と涙がこぼれました。

1もっとも甚大な被害を被った益城町。日本とは思えない景色が広がっており、人間の無力さを痛感。

さらに、仮設住宅もままならない状況で、車の中や駐車場でテント生活をされている方々はまだまだ数多くおり、駐車スペースにはペットボトルなどで自分のスペースを確保するという非常事態が目の前に展開されている光景は、なんとも言えない辛い光景でした。

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テント生活は、今もなお継続されている。

この状況を目の当たりにし、この状況をどうすればいいのだろう、「復興」とはどういうことなのだろうかということを改めて考えさせられ、まず自分が何に取り組むべきかを認識し直そうと試みました。

 

よく「震災を忘れてはいけない」と言われますが、その前に「ちゃんと知らなければいけない」のではないでしょうか。今、被災地がどうなっているのかを「知らない」と「忘れてはいけない」という段階に行かない。ましてやどうしていけばいいのかという話にもならないのです。

 

自分がまず取り組むことというのは、この状況を微力ながら様々な人に知ってもらうということだと考えました。本当に多くの人々に機会を作ってもらい、知ってもらいたいと思います。それと同時に、何に取り組んでいくべきかを考え、実行に移していくべきだと考えています。

 

行ってわかったことですが、嬉しいことに、力強い人々が熊本には多数いました。

 

お忍びで単身ボランティアセンターに激励に訪れている芸能人、この震災に真正面から立ち向かうスナックのお父さんお母さん、仮設住宅からバーに通い人々と今後についてどうしていくかを話し続ける常連客の方々、さらには震災2日後から仕事を再開し、さらに「一般社団法人まけんばい西原」を立ち上げ精力的に活動し、忙しい中で初対面の自分に様々な復興にかける意気込みを語ってくれた方など。

 

「ただ、来てくれたことが嬉しい」

 

まだ何も復興活動に参加できていない自分の顔を見て、本当に笑顔で返してくれた知人達からは、大きな勇気と希望をもらい、活力を受け取ることができました。

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下通り(熊本市最大の繁華街)はすでに賑わいを取り戻していた。

自分も故郷「熊本」の本当の復興に向けて何ができるかを真剣に考え、動いていかなければ。

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行きつけのスナック「おもちゃ」のニャンタ(自分)ボトルは来熊の時に是非(空いたら新しいのを入れてください笑)

 

ABOUTこの記事をかいた人

大泉寛太郎

1981年生まれ。 学生時代より、イベントチームやフットサルチームの立ち上げ、BarなどでDJとして活動。 大手商業施設でテナントリーシングや営業企画、PR、広報など幅広い分野を経験したのち、2008年大泉工場入社、2012年より現職。 アジアからオセアニア、ヨーロッパ、北米、アフリカと世界中を飛び回り、地球の「今」を体感。 「地球を笑顔で満たす」というMISSIONを掲げ、日々、いかに「素敵な環境を創造するか」自問自答しながら生きている。 にゃん丸という愛猫と二人暮らし。