【mizuiRoインタビュー番外編vol.1】八尋健次さんインタビュー

mizuiRoインタビュー番外編では、社外で大泉工場と共に活動する「輝いている方々」をご紹介していきます。第一回目は、埼玉県川口市内にある大泉農場の管理・アドバイスをいただいている有機農業カンパニー「オーガニックパパ」代表理事の八尋 健次(やひろ けんじ)さんのインタビューです。

5年前から直営店や大泉農場などで、大泉工場に関わってくださっている八尋さん。そんな八尋さんが農業に込める思いや、大泉工場と共に目指す、八尋さんの見ているビジョンとは何か、お伺いしました。

参考記事:mizuiRoとは?

農業を継ぐことが嫌だった子供時代

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山崎:
最初に八尋さんのご経歴をお伺いできればと思います。

八尋:
私は福岡県筑紫野市(ちくしのし)で、代々続く専業農家の長男として生まれました。専業農家の息子というと本来農業を継ぐのが当たり前なのですが、当時は農業が嫌で飛び出し、デザイン系の建設会社に20年ほど勤めました。その会社で働く中で、福岡の糸島への移住促進を行う会社を立ち上げました。
やはり移住される方は田舎暮らしを希望して都内から引っ越してきますので、「移住=農的暮らし」なんですよね。ただ、移住される方が農業に携わると言ってもそれで生計を立てていく「農家」ではないので、農協に加盟するわけでも直売所に出せるわけでもない。そのため、その方々が出荷するための直売所と、栽培指導や新規就農者のサポートを行う会社を建設会社と共に作りました。そういった経緯で、農業にまた戻ってきたのが私の経歴です。

山崎:
子どもの頃は農家を継ぐことが嫌だったのですね。当時の八尋さんは農業に対してどのような気持ちを抱いていたのでしょうか?

八尋:
正直、恥ずかしいものだとずっと思っていました。
今でこそ、農的暮らしに憧れることはありますけれど、当時は大嫌いでしたよ。私が中学生の頃はちょうど昭和の高度経済成長期で、実家の周りも大きく様変わりして、今まで田舎の風景だったものが一気にベットタウンに代わっていきました。その移り変わりの中で、私の実家は頑なに開発をせずに土地を守り、農業をやり続けてきた家なんです。
当時の農業というのは貧しかったので、団地暮らしでおやつはケーキを食べて、ピアノを習っている友達を羨ましいと思っていました。ですので、まさか人前で農業を話すような時代が来るとは思ってもいませんでした(笑)

山崎:
デザイン系の建築事務所に就職したのはどうしてだったのですか?

八尋:
憧れでしょうね。当時は専業農家であることにコンプレックスを持っていたので、福岡で一番かっこいいデザイン系の建築事務所に入ろうと考えました。もともと建築や開発などが好きだったこともあり、建築事務所にお世話になることになりました。

山崎:
デザイン系の建築事務所に入られてから、農業に対しての考え方はどのように変わっていったのですか?

八尋:
糸島への新規移住者の促進を行うプロジェクトを立ち上げた頃には、やはり自分の中で「元に戻ろうか」という思いが芽生えてきたのかなと思います。農家に生まれたからにはそこに戻る、ということなんだと思います。子供のころから大嫌いだった農業ですが、肌感覚は残っていて、大体のことは分かりますし。

農業に戻ろうかなと考えていたのが30歳くらいの時だったのですが、当時日本でも田舎暮らしの本が出始めたんですよね。スローライフやスローフードという言葉が日本で言われ始めたのが25年前あたりなので、ちょうどその頃で。
そういった世の中の流れを見る中で、多くの人が求めているものが自分の暮らしてきた環境と馴染みがあるものだったので、提供者にも、実践者にもなれるなと感じました。バブル崩壊を経て、経済活動が一番の価値という考えにも自分自身が違和感を持ち始めたんでしょうね。そのタイミングで移住促進プロジェクトの話が出てきて、もうやるしかないと思いました。

山崎:
現在はオーガニックパパという会社を立ち上げて、農業に携わりたい方へのサポートをされていると伺いましたが、具体的にどのような方のサポートをされているのですか?

八尋:
身体や心に疾患を抱え、社会で普通に働けない方に向けて、農業を生業や副業としていくことのサポートをしています。障害をお持ちの方が新規就農することで仕事にしていくサポートが、割合として一番高いですね。次に多いのが精神病発症者で農業を生業として生きる方、その次が引きこもっていた方です。
農家になるには農機具や出荷場など、準備するものも多いですし、農業は大好きだけれども朝から晩まで一人で黙々と作業をしていたらハッピーに生きていけるかと言ったらそうではないので。

障害をお持ちの方でオフィスワークでは病気が発症してしまうけれど、畑作業では発症しない方や農的な生き方がしたい方のお世話をするということが当社の仕事になります。今までに、企業や行政から学校、個人、障害者、主婦の家庭農園、プランター農園まで、本当に農業をやりたいという方に対しては幅広く対応しています。

どんなことがあろうと「食べる」ことを守っていきたい

山崎:
八尋さんのされている農業はどのようなものでしょうか?

八尋:
地域資源を生かすことにこだわった農業です。
私は、農業を通じて「どんなことがあろうと食べさせていくこと」をミッションに持っています。農業というものは人間が滅亡しない限り、どんなことがあっても「食べる」ということを補う仕事だと思っています。外的要因の変化、例えば何かが起きて物流が止まり栽培ができなくなれば、それはミッションを満たしていないことになります。
車やトラックすらない時代が来たとしても、歩いてでも資材を調達できるということが大切だと思っています。要は戦前の日本、もっと言えば江戸時代の農法に戻った方が持続可能なんです。江戸時代の農業は移動手段も物流もない中で、地元の資材だけを使って農業を行っていました。

今はもっぱら有機農業という言葉をよく耳にするかと思いますが、実は有機農業で使われる肥料は日本で調達しているものばかりではありません。つまり、物流が止まれば農業が止まってしまう可能性がある農法なのです。

地元の資材だけを使う、従来型の日本の農業は世界をリードするような農業だったと思っていますし、そのような素晴らしい技術・素材がありながらそれを捨ててしまうのはおかしいと思っています。何かがなければ農業ができないという状態では、ミッションを実現することはできないので。そのため、地元に生えている草、落ち葉や枝、キノコ工場から出る廃菌床、おがくずなどの地元で歩ける距離で調達できる資材を使った農業をしています。

山崎:
どういった仕組みで農業を行っているのか、具体的に教えてください。

八尋:
落ち葉などの資材を畑に入れると、大量の菌類が発生します。落ち葉や枝、おがくずなどの炭素材は菌類のエサになるので、様々な菌がどんどん繁殖し、菌類たちが食物連鎖を起こすことで野菜や穀物に養分がふんだんに供給される、という循環型農業です。やっていることはふかふかの山の土を人工的に再現して作っていく、ということですね。炭素資材を循環させていくので炭循農法と言われています。

実際にその土地にある素材だけを使って農業をやっていく中で、それで十分なことがわかってきました。福岡に来てもらったらすぐにわかると思いますが、もう実現可能どころか、たわわに実る農産物ばかりが収穫できます。今まで正しいと思い込んでいたやり方は何だったのかと思ってしまいました(笑)

山崎:
福岡で八尋さんの農場を是非一度見てみたいです。ちなみに大泉農場も同じ農法で野菜を育てているのですか?

八尋:
大泉農場では外から落ち葉などを入れたりせず、そこに生える草や野菜の残渣を炭素資材として使っています。炭素資材を循環させるやり方の中でもかなりストイックな手法です。なので、微生物の繁殖により時間がかかるのですが、より自然に近い循環なので出来上がってしまえば高品質のものができると思います。

ジュースとは、重症者にとって回復に寄与できる重要アイテム

山崎:
大泉工場との出会いを教えてください。

八尋:
5年前に、今の大泉工場NISHIAZABUの前身にあたるグロッサリーストアに携わったことが始まりです。弊社は障害をお持ちの方など、マイノリティーサポートのための農業なので、大泉工場の中での障がい者雇用や、福祉への参入なども視野に入れた上でお世話になることになりました。

また、福島県糸島市の伊都安蔵里(いとあぐり)という直売所ではオーガニック野菜の直売だけでなく、色々なこだわりのグロッサリーもかなり置いていたので伝手もありますし、オリジナル商品の開発もしてきたので、今までの経験を生かせるという点もご一緒すると決めた理由でした。
なので、最初から農場をやろうということでお付き合いが始まったのではなく、グロッサリーストアに関わる中で、後から大泉農場も始めることになりました。

山崎:
なぜ大泉工場と共に活動をしてくださっているのでしょうか?どのような点に共感してくださっているのか教えてください。

八尋:
現在農業指導をさせていただいている大泉農場に関しては、代表である大泉社長自身が農業を実践されていることに感銘を受けているところが大きいです。
今までに定期的に訪問する形での農業指導のオファーは多くもらっていましたが、実はお断わりしているんです。代表自ら畑に立つ方はなかなかいらっしゃらないので、大泉工場だけは定期的に来させてもらっています。

また、健康ドリンク文化を広めようと並々ならぬ努力をされている点にも共感しています。
私は仕事の中で病気の方との接することが多く、症状も深刻なものから予防に近いものまで様々ですが、どちらかというと深刻な病気を抱えている方との関わりが多いです。ジュースはまだ日本では広まってこそいませんが、実は重症の方にとって回復に寄与できる必須アイテムなんです。

死ぬか生きるかの病気の人にとってジュースは非常に効果的で、回復される姿を私は間近で見てきました。私は医師の次くらいに病気で苦しむ多くの方を見てきているので、だからこそドリンクの重要性は強く感じています。そんなジュースを日本で広めようと、取り組んでいるのが大泉工場なので、そこに携わらせてもらうというのは僕の喜びですね。

八尋さんの描くビジョンとは

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山崎:
大泉工場は、地球を「笑顔で満たす」をミッションに、素敵な環境を創る事業を展開しています。長年大泉工場の活動を見てきてくださった八尋さんが、大泉工場に今後期待することや一緒に成し遂げたいことを教えてください。

八尋:
笑顔に必要なのは健康です。心身の健康があって命の運用をしているわけなので、その仕組みに滞りがあると笑顔どころではなくなってしまいます。
病気や障害で仕組みに滞りが生まれてしまった人、言うなればこの明るい先進国日本の裏側のような部分にばかり接してきた私ですが、重症化して初めて健康であるありがたみに気付く方に出会う数が多いだけに、なぜ今なのだと、なぜもっと早く気づけなかったのかと虚しさや憤りを感じることばかりなんですよ。
地球を笑顔で満たすことの中でも重篤化した方がもとに戻ることに取り組んでいる当社ですが、そんなのは嫌だと。もっと早く、日常的に、楽しく食生活を考える。そういう発信は私たちにはできないのですが、大泉工場であればできると思っています。病気の方を沢山見てきているからこそ、重篤化した後は簡単に元には戻れません。
重篤化してしまったらどんな方でも当社で受け取りますが、その前に気付きを与えたり、体験する中できっかけを作ってくれたり、そういったことを大泉工場はやってくれるだろうと期待しています。

山崎:
最後に、八尋さんの夢を教えてください。

八尋:
私は農家に生まれ、農業で育ててもらっています。なので、農業にご恩返しをしていきたいと考えています。
昔ながらの農業、そして副業的農業は、日本の風土、地理、食べ方、暮らし方、考え方、コミュニティのあり方に非常に合っていると実感しています。その実現のために、誰でもできる農業を編み出しここまで来ています。私の場合、その中にたまたま障害者とか病気の人が多いだけで、普通の人がまた普通に農業に携わっていく環境を作っていきたいと思っています。

農業を行う先には、まずその方の食が満たされ、何があっても食べていける安心感が得られます。農業のプロセスの中で他の生き物と接することや、人間も自然の一部だと感じることを通じて、幸福感を得ることができます。もちろん、採れた野菜を食することで健康な体を手にすることができます。経済的なゆとりも待っているかもしれません。
農業をするということはいいことばかりですし、サポートさえあれば誰でもできるのが農業です。農業に携わりたいという思いを持った方のサポートをし、新規就農者を1万人生み出すまで頑張りたいと思っています。

山崎:
八尋さん、本日はありがとうございました!

病気や障害をお持ちの方と多く接してきたからこそ、健康の大切さを身に染みて感じている八尋さん。どんなことがあろうと食べさせていくことが農業のミッションであるという力強いお言葉から、八尋さんの農業への熱い思いを感じました。
健康であることの喜び、食の大切さを多くの方に伝えていけるよう、大泉工場も邁進してまいります。

次回のmizuiRoインタビュー番外編もどうぞお楽しみに!

ABOUTこの記事をかいた人

MAYUKO YAMAZAKI

静岡生まれ静岡育ち。心身の健康づくりに関わる仕事がしたいと考え、大学卒業後はフィットネス関連の会社に入社。その後、鹿児島の与輪島で2ヶ月間の島暮らしをする中で、自然とつながって生きる感覚や「食べること=自然が自分の一部になること」のパワーを感じたことで食にかかわる仕事を志し、大泉工場に入社。以降、Corporate Communication TEAMにて広報業務を担当する。趣味は料理と自然の中でのんびり過ごすこと。都会より田舎派。