mizuiRoインタビュー番外編では、大泉工場と共に活動してくださる社外の「mizuiRo」な方々を、人柄や価値観にフォーカスを当てご紹介していきます。
参考記事:mizuiRoとは?
Vol.3である今回は、スーパーバイザーとして、大泉工場NISHIAZABUと大泉工場OMOTESANDOの監修をしていただいている岡清華(おか さやか)さんのインタビューです。今回は前編をお届けします。
ストイックなダイエットで身体を壊した経験から「本当の健康」を伝えるため、アーユルヴェーダの知恵をもとに活動をされている岡さん。多くの人に「一人ひとりの人生を自分で選択する力」を持ってほしい。そう語る、岡さんの情熱はどこから生まれているのでしょうか。
岡さんを突き動かす原点、そして私たちが健康に生きていくために必要なことはいったい何なのか、伺ってきました。
「本当の健康、美しさとは何だろう」
山崎:
まず初めに自己紹介からお願いいたします。
岡:
私は管理栄養士の資格を取った後に出会ったアーユルヴェーダという伝統医学をもとに、さまざまな活動をしています。
その中に、自分のブランドであるMOTHERというコミュニティや、他企業様と共にお互いのビジョンを協業して叶えていくといった活動をしています。
山崎:
アーユルヴェーダの知識をもとにさまざまな分野でご活躍されている岡さんですが、どのようなきっかけで食に強く興味を持つようになったのですか。
岡:
高校1年生の時に、その当時付き合っていた彼に「痩せたら?」と言われたのがきっかけで。私は元々骨太で、割と筋肉質なタイプ。ガリガリにはなれないと思ったので、健康的に痩せるにはどうしたらいいのかと思って、ひたすら調べてネットに載っている情報を全部実践しました。
山崎:
全部…! とてもストイックに実践されていたのですね。結果、うまくいったのですか。
岡:
数値としてはうまくいったのですが、身体を壊しました。体脂肪率は9%、脂肪は全くなく、生理も止まってしまって。
元々は「自分の幸せのために痩せたい」と思っていたはずなのですが、それとは全くかけ離れたところにいっていましたね。「本当の身体の健康とか、美しさってなんなのだろう?」と思ったときに、ちゃんと勉強しなきゃと思ったのですね。それで、日本で一番の食のプロフェッショナルということで管理栄養士を目指し始めました。
ただ、大学受験は、恐らく私が人生の中で一番困難にぶつかった経験で。
山崎:
そうなんですか。
岡:
高校受験で失敗して、地域では一番やんちゃな高校に入っていました。もういいやと思って、とにかく遊んでバイトをするという生活をしていたら、学校で下から数えるくらいの成績になっていって。そこから心機一転、栄養学を学ぶために大学を目指し始めたのですが、今まで勉強してこなかったので、ちんぷんかんぷんで(笑)
その時にすごく良い先生に出会って “勉強の仕方” を教えてもらい、28位だった偏差値がグングン伸びていったのです。この時は、自分で誰よりも勉強した自信がありました。人生で、私が一番ブレイクスルーした瞬間でしたね。
その時に、みんなに「そんなの無理だ」と、「馬鹿だよ」と言われても、他に成功例がなかったとしても、“絶対に自分が誰よりもやっている” という自信さえあれば、(それが事実でなかったとしても)おそらく、何だってできてしまうのだろうなということを知りました。
山崎:
それが、今の岡さんに繋がっているのですね。努力の末、栄養学を学ばれていかがでしたか。
岡:
非常に興味深く、学べば学ぶほど楽しいものでした。しかし学ぶほどに、整えられるはずの管理栄養士の知恵だけでは、どうしても“心”が安定しきらないように思えていました。数値的に、何がいい食事ということは頭ではわかっていても、「いやいや、これが食べたいんだよ」とか「こんなのは食べたくない」とか、そういった心の感情が食を選択する上で関わってくることに気付きました。
あとは同じものを食べていても病気になる人とならない人がいて、太っている人もいれば痩せている人もいる。「この体質の違いって何なのだろう」と思って。そういった目に見えないところを追い求めている中でアーユルヴェーダという単語に出会い、「もしかしたらここに答えがあるかもしれない」ということで管理栄養士の国家資格取得後、すぐに、直感で運命を感じた師匠が住むすハワイ・カウアイ島へアーユルヴェーダの修行をしに行きました。
自分の性質を理解し、「合う」ものを選ぶ
山崎:
カウアイ島で学ばれたアーユルヴェーダとはどのようなものでしょうか。
岡:
簡単に言ってしまえば、どのように生きたらいいかを教えてくれる生活の知恵、 「おばあちゃんの知恵袋」のようなものです。その人によって、必要なことって違うと思うのですよ。その人の性質というものを自分で理解して、自分にとって合う食事・合わない食事、合う運動・合わない運動、対人関係も含めて自分で選択していくための、いわば自分の取扱説明書を手に入れるためのツールという感じですかね。
山崎:
カウアイ島の修行で、岡さんの中での変化はありましたか。
山崎:
一か月ほどの修行だったのですが、自分の体調や体質に合うか合わないかで食べるものを選択するようになったこと、食べ物を選択する観点が変わったことが最大の変化でしたね。
当時は太ることへの恐怖があり、6年ぐらいほとんど白米を食べていなかったのですが、師匠に食べなさいと言われて。「絶対あなたに必要だから、信じて」と。
もう一か月だけだから、とりあえず信じてみよう。と思って食べてみたのですが、不思議なことに全く太ることはありませんでした。むしろ、見た目的にも、心地良さ的にも、すごく良くなっていって。そこからはずっと白米を食べ続けています。
同じものを食べていても、その“食べ方”次第で身体への影響は大きく変わる。当たり前のことであるのに新しい観点と、既成概念を覆す体感に驚きの連続でした。
また、例えば玄米を食べるとかサラダを食べるとか、一般にいいとされているものも体質や季節によって合う、合わないがあるのですよね。その個性があること自体を考えたこともなかったですし、やってみてどう変わるのかを観察することもそれまではなかったので、全てが衝撃でした。
管理栄養士の知恵がベースで、栄養とかビタミンとかそういった数値目線で選んでいたのが、自然か自然じゃないか、自分が消化できるかできないのか、といった観点で選択をするようになりました。
山崎:
改めて「どんな食べ物が自分に何が合うのか」を考える機会は、ないですよね。
岡:
普段過ごしている中でまず、ないですよね。「自分に合うものを選ぶ」という教育を受けていないというか、自分で選択する方法を教育として受けていないということも、心身ともに健康で生きていくことが難しいという現代の課題に繋がっているのかなと感じています。
人生何でも切り開けるという自信を持つことこそが、一番の幸せ
山崎:
カウアイ島での修行後、日本に戻られてからはどのような活動をされていたのですか。
岡:
当時は先が見えなかったので、自分が今できること重ねていこうと思って。まずはとにかく飲食で、一般的な人の好みや味付け、レシピを考えたいと思い、朝はジュース絞りのバイト、昼はヨガの講師、夜はヘルシーな手作りおでん屋さんの女将…などなど、アルバイトプロのような生活を送り、とにかくがむしゃらに経験を積みました。
山崎:
岡さんのおでん屋さんの女将、見てみたいです。
岡:
好評だったんですよ、女将の一品とか題して、いろいろ出したりして(笑)
いくら健康な食事でも、その人が美味しいと思って食べてもらわないと続かないじゃないですか。なので「健康にいいもの=まずい」ではなく、健康にいいものはすごくおいしいと思ってもらえるように、試行錯誤する中で受け入れられやすいメニューを作ることができたのではないかと思います。
山崎:
自分をゆっくり見つめなおすカウアイ島での生活から一変、周りの環境も人も全く違う中で、信念を持って続けることは難しかったのでは、と思います。岡さんはなぜ、続けてこられたのでしょうか。
岡:
私はずっと「本当の健康」を伝えていかないといけないという使命感があって。
なぜなら、“食によって狂っていく人達”をたくさん見てきたからです。苦しみながらも、カロリー計算をしながら食事を選択している糖尿病の祖父や、認知症になり日に日に家族のことも誰だか分からなくなってしまう祖母、拒食症で日に日にこけていってしまう友達…などを見ていて、この食文化は絶対にどうにかしないといけないことだ、と。このもどかしさを抱えては生きていけないとずっと思っていました。
東京に出てきてからも様々な方と出会いましたが、みんな何かおかしいなと思いながらも過ごしていて、そうして押し殺したサインが気付かないうちに悪化して、病気になったり苦しんだりする結果になる。そのサイクルを断ち切るような、自己観察とセルフコントロールを促す為に、できるだけ多くの人に受け入れられやすい言葉で伝える方法を勉強したいと思いました。
この理論は受け入れられるだろうかとか、これは商売にならないんじゃないかとか、様々な周囲からの声に負けたり、諦めたくなるような日々もありました。
上京したてのころは、毎日母に泣きながら電話をしたり、月に1回夜行バスで実家に帰って自分を取り戻す・・・など、先が見えない日々は本当に苦しくて。目的を見失ってしまうことも、さまざまなバイトをする中でアーユルヴェーダのことも忘れて、どっぷり色々なところに浸かってしまったこともありました。今振り返ると、自分を、自分の使命を見失うことは人生最大の苦悩であったと思います。
それでも、自分が受験に受かるという確信と同じくらい、絶対ここに真実があると確信があったので、遠回りでもいいから、いろんな寄り道をしてもいいから、最終的にこれが世の中の人に少しでも受け入れられるように、と思って何度も軸を戻し、活動を続けました。
山崎:
ぶれてしまっても立ち返れたのは、どうしてですか。
岡:
やっぱり心身が乱れていくとしんどいじゃないですか。私にとって、アーユルヴェーダの生活をしているカウアイ島のときが一番自己肯定感も高かったですし、将来のビジョンやアイデアがすごく溢れ出てきたんです。
あの時の状態でずっと過ごせばきっと人生もうまくいくなと思って、何度もその感覚を思い起こし立ち返っていました。
たぶん自分で人生何でも切り開けるという自信を得ることこそが、一番の幸せだと思うのですよ。アーユルヴェーダをやっている生活の中でしか手に入れられなかった感覚だったので、いつもそこに不思議と立ち返って、今でも不思議とそれが仕事になっている感覚ですね。
「何をするか」より「誰とするか」
山崎:
その後、ヨガトレーナーを経て、独立された岡さん。現在活動されているMOTHERは、どのようなコミュニティなのでしょうか。
岡:
私は「何をするか」より「誰とするか」だと思っているので、同じ志を目指している人たちと一緒に仕事をしていくコミュニティを作っています。自分の夢を実現するためには、いい人に恵まれないとだめだと思っているので。
私のやりたいことは自分を有名にすることではなく、アーユルヴェーダの知恵を使ってみんなで幸せになることだと思っています。例えば1人だけで声を上げてフォローできる人は1万人くらいだとしたら、1万人の人が一緒に声をあげてくれると、かける何倍もの人に無限大に伝えていけると思っていて。
次世代に伝えていかなければいけないと思うと、一人の力だけでは自分の使命を叶えられない。そうしないと私は、たぶん成仏できないと思っています(笑)
生き方の知恵のアーユルヴェーダは、死に方の知恵でもありますから、わたしはどのように死を迎えたいかも常に念頭において考えています。自分の使命を思うと、わたしは最古の知恵を最先端の技術を駆使して多くの人々に伝えていきたい、と内から情熱が溢れてきます。
更には、どういう風にしたら人に受け入れられやすいのか、その伝え方の知恵まで自分の学んできたことを全部開示し、受け取ってくださった方々の人生を経験や想いも込めて伝わっていく・・・というアーユルヴェーダの本質的な伝承方法を、紡いでいけたらという思いを込めて活動をしています。
山崎:
では、今は「育てていく」「教えていく」という段階なのですね。
岡:
そうですね。教えるというよりも導く、ガイドする、提案していくという言葉の方が相応しいですし、伝えることでわたし自身が成長し、学ばせていただくフェーズに来ていると思っています。
6年前ぐらいからこのようなことをしたいとざっくり思っていたスタート地点にたどり着き、やっと一歩が踏み出せたようなイメージです。自分だけではなく、仲間皆で発信し高め合えるのはすごく素敵なことだなと思っていて。 「ここを目指していたんだ、私。」と、最近は振り返ると胸が熱くなり、今は心強い仲間へ感謝の気持ちでいっぱいです。
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