あなたが目に見えない抽象的な平和をイメージし続ける限り、世界平和は二度と来ないかもしれない。

イギリスが発表した、2015年の「世界平和度指数ランキング」によれば、日本は162カ国中、カナダに次ぐ世界第8位の「平和国」として名を連ねています。

しかし、2011年に日本のあるリサーチ会社が行った調査では、半分以上の日本人が、「今の日本は平和だと思うか?」という問いに対して、

「そう思わない」と答えており、その傾向は年々上がってきているようですが、何を主軸として平和を捉えるかで、平和への概念は大きく変わってきます。

 

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↑リサーチの仕方によって「平和」の概念は大きく異なる (Stefan Lins)

基本的に“平和”の概念は国ごとに大きく違い、グーグルの画像検索で“戦争”と検索してみると、戦車や爆弾が落ちる光景など具体的なイメージを見ることができますが、

“平和”というキーワードで検索してみても、海や川、そしてハトが飛ぶ光景など「統一された具体的なイメージ」が存在せず、

ジョン・レノンには彼なりの平和のイメージがあり、あなたにはあなたなりの平和のイメージがある、このような曖昧な状況が現代の世の中には存在しています。

 

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↑グーグルの画像検索「平和に具体的なイメージはない」(google Image)

例えば、国ごとに平和のイメージを聞いてみても、ドイツは「表現の自由があるか」、メキシコは「人権や命を尊重できるか」、

アメリカは「全員が過度に一方向に向いているかどうか」、そしてフィリピンは「命の保障がされて不安がないかどうか」などそれぞれ違いますが、

この平和の抽象的な概念について、広報・PR等の視点から平和を考えることを提唱してる伊藤剛氏は次のように述べています。

「平和は、目に見えない抽象的な概念なので、人によって頭の中に思い描く“平和とは何かのイメージ”が大きく異なります。

だからそれを伝えようとすると、お互いのイメージをまず摺り合わせることから始めないといけないので、“ひと手間”かかってしまいます。」

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↑様々な考え方がある中で、どこまで平和のイメージをすり合わせられるか (Alisdare Hickson)

ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング博士は、自分の国が戦争をしていない状態が平和だとする考え方を「消極的平和」、

自分の国はもちろんのこと、それ以外の場所でも戦争がない状態を平和だとする考え方を「積極的平和」と表現しましたが、

仮に自分の暮らしに余裕のある人たちが、ビジネスや外交、そしてボランティアなど世界に平和をもたらそうとしても、

自分の中の具体的なイメージを定義し、すり合わせようとしなければ、結局どこかで「ミス・コミュニケーション」が発生してしまいます。

 

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↑どれだけ平和を望んでも、「イメージ」を共有しなければ何の意味もない (UNAMA News)

また、戦争を始めるのは一部の権力者たちであっても、戦争を広げるのは「メディア」や「大衆」であることを忘れてはいけません。

スティーヴン・スピルバーグやマイケル・ムーアなど、映画やドキュメンタリーを通して戦争のイメージが伝えられますが、

ドラマは「ドラマになるように」作られており、分かりやすい悪役を作って、様々な背景を数時間に凝縮しているため、あくまで一方的な価値観が映像を通じて伝えられます。

また、この戦争映画のメディアを運営するためには、俳優のギャラや宣伝費用など莫大な予算がかかり、ユダヤ人虐殺を扱った映画が多い一方で、

パレスチナ視点の映画がほとんど存在しない理由はここにあります。

 

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↑ドラマは「ドラマになるように」作られている (Insomnia Cured Here)

結末を知らされた映画を何度見ても、「戦争は絶対にダメ」という結論だけが重視されてしまい、「どうして戦争が起きたのか?」、

「どうやって戦争を繰り返さないようにするのか?」という思考が生まれることはあまり多くありません。

仮に平和を実現させたい気持ちはあっても、空想のイメージやメディアによって作られたイメージしか持っていなければ、

ミス・コミュニケーションが生まれるのは当然ですし、戦後大きく変わった日本の戦争観は、「戦争は絶対にダメ」という思想に基いているため、

国際社会の「正しい戦争」と「正しくない戦争」という概念を理解するのはなかなか難しいのではないでしょうか。

 

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↑戦争がダメなのは分かっているでもその「先」と「前」を考えなければ何も変わらない (Leiflet)

明治維新を経て、海外の文化が日本に流れ込み、戦後、そして近年一気に加速したグローバリゼーションの影響も重なって、ここ150年たらずで日本文化は大きく変化しました。

ヨーロッパの貴族が支配者として権力、教養、そして富を独占していたことに対して、江戸時代に権力を握っていた武士たちは、

権力と教養は独占していたものの、お金は持っておらず、日本人は金銭よりも道徳に重きを置いていた民族として、世界の学者から驚かれると言います。

 

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↑お金よりも道徳を重んじる日本文化「恥さらしは腹を切る」(moriakimitsuru)

そして、こういった日本の道徳の中で最も中心にある土着の考え方が、「卑怯なことはいけない」「大きな者は小さな者をやっつけてはいけない」

という武士道精神から来るものであり、お茶の水女子大学名誉教授で、「国家の品格」の著者でもある藤原正彦氏は、日清戦争について次のように述べています。

「当時の中国に侵略していくというのは、まったく無意味な“弱い者いじめ”でした。武士道精神に照らし合わせれば、これはもっとも恥ずかしい、卑怯なことです。

江戸時代は遠くなり、明治も終わり、武士道精神は衰えていました。 挑発に乗って当時の中国に攻め込めば、負ける筈はない。そもそも中国には空軍さえほとんどないのですから。」

 

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↑日本従来の武士道精神はここ150年でどんどん衰えていった (St Stev)

明治維新と言っても、日本の歴史から見れば、まだ比較的新しい出来事ですが、もし藤原氏の言うように、

日本人の平和観ともいえる道徳観が、当時から崩れ始めていたとしたら、私たちが「平和」について具体的に想像できないのは当たり前であり、

もし具体的に国外に対して平和の概念を広めるのであれば、まず日本人自身が日本古来の道徳観を取り戻す必要があります。

 

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↑日本人が古来の価値観を取り戻すところから「ピース・コミュニケーション」が始まる (Jim Fischer)

ブリッジ・フォー・ピース(BFP)は、戦争のない平和な社会を実現するために、戦争体験の記録やワークショップの開催を

積極的に行っている日本のNPO団体で、学校などでの出張授業の実績も多く、BFPの理念の一つに“「過去」

そして「現在」「未来」と向き合うこと”というものがあるそうですが、ワークショップでは「過去」について学ぶのはもちろん、

それぞれが「平和についてどう考えるか?」ということを実際にディスカッションする場が設けられています。

今後、私たち日本人は、どれくらいの期間にわたって「戦後」という表現を使うことができるでしょうか。もし来年戦争が始まれば、

2016年現在は今後の歴史の中で、「戦前」と言われるようになるかもしれません。

そう言った意味でも、今後戦争というものを語っていくのであれば、過去のモノクロの戦争のイメージから少しずつ脱却していく必要があり、

過去や日本人の道徳観から平和の概念を今の時代に合うような形に作り変えていかなければなりません。

 

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↑今後の平和を考えるために、過去の戦争のイメージから少しずつ脱却していく (Clint)

平和の概念に正解や不正解はないのですが、自分なりの視点を持ち、

恐れずに話し合うことが何よりも重要な「平和概念の擦り合わせ(ピース・コミュニケーション)」の概念であり、

ピース・コミュニケーションを行っていくためには、漠然とした平和観ではなく、具体的な平和観を私たち自身が取り戻す努力をしていかなくてはなりません。

 

最終的には「国家として“平和”に対してどのようなスタンスをとるのか」ということを、国民が主導となって表明できるかが大切なのかもしれませんが、

国が動くのを待たなくても、ビジネスやボランティアを通じて、日本人によるピース・コミュニケーションは十分可能です。

そういった小さな動きが、国全体を動かしていく、それがボトム・アップの21世紀の姿なのかもしれません。

 

※参考文献

伊藤剛「戦争は伝わりやすくなぜ平和は伝わりにくいのか~ピース・コミュニケーションという試み~」(光文社新書、2015年)

藤原 正彦「国家の品格」(新潮新書、2005年)

藤原 正彦「日本人の誇り」(文春新書、2011年)

伊勢崎 賢治「本当の戦争の話をしよう: 世界の「対立」を仕切る」(朝日出版社、2015年)

伊勢崎 賢治「武装解除 -紛争屋が見た世界」(講談社現代新書、2004年)

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

大泉寛太郎

1981年生まれ。 学生時代より、イベントチームやフットサルチームの立ち上げ、BarなどでDJとして活動。 大手商業施設でテナントリーシングや営業企画、PR、広報など幅広い分野を経験したのち、2008年大泉工場入社、2012年より現職。 アジアからオセアニア、ヨーロッパ、北米、アフリカと世界中を飛び回り、地球の「今」を体感。 「地球を笑顔で満たす」というMISSIONを掲げ、日々、いかに「素敵な環境を創造するか」自問自答しながら生きている。 にゃん丸という愛猫と二人暮らし。