対価は熱狂に比例する

僕は昔から、“熱狂している人”が好きだ。

ジャンルはなんでもいい。
飲食でも、アートでも、スポーツでも、音楽でも、農業でも、なんでもいい。

とにかく、自分が好きなものに対して、異常なほど熱を持って取り組んでいる人間に惹かれる。

むしろ、少し狂っているくらいの方がいい。

時間も忘れ、損得も超え、気づけば没頭している。
そこには「仕事だから」とか、「時給だから」とか、「残業だから」という概念すら存在していない。

もちろん現実社会において、お金は重要だ。
会社を運営する以上、利益を出さなければ継続できない。
僕自身も、経営者として日々数字と向き合っている。

ただ、それでも思う。

結局、人の心を動かすのは“熱”なのだ。

逆に言えば、どれだけ時間を使っていたとしても、熱狂していない人には、僕はあまりお金を払いたいと思えない。

その人の「向かっている方向」が見えないからだ。

2026年、ひょんなことから、シアターカンパニーカクシンハンがルーマニア・クライオーヴァで開催された「クライオーヴァ国際シェイクスピア・フェスティバル2026」でヘッドライナーを務めるにあたり、共同プロデューサーに就任することになった。

理由は実は明白ではなかったのだが、一つだけわかっていたことがある。

それは“お金”と“場所”だ。

かなり俗っぽい理由である。

でも、これは決してネガティブな意味ではない。

多くの人が知っているかもしれないが、演劇というものは、信じられないくらいお金がかかる。

場所が必要。
人が必要。
時間が必要。

しかも、映画や配信作品のように、同時に何万人にも届けられるわけではない。

極めて“非効率”な表現とも言える。

もちろん大成功し、しっかりと儲けている劇団も存在する。
ただ、現実として、多くの劇団は経済的に苦労している。

だからこそ、企業からのスポンサーシップが重要になる。
今回、シアターカンパニーカクシンハンから大泉工場に声がかかった理由も、なんとなく理解できたし、僕も自然と協力したいと思った。

ただ初めは、このなんとなくの正体があまり明確でなかった。

でも実際に同行することを決め、30時間近くの時間を使ってルーマニアのクライオーヴァまで来て、少しだけ分かった気がした。

ああ、僕らは“熱狂”に対する投資をしたいのだと。

シアターカンパニーカクシンハンとの出会いは、今から4年前。

それまで僕は、演劇というカルチャーにほとんど触れてこなかった。

彼らがテーマに掲げている「シェイクスピア」も、もちろん名前くらいは知っている。
でも、自分の人生の文脈の中には、あまり存在してこなかった。

そんな中、OKS CAMPUSで展開された彼らの公演を目の当たりにした。

衝撃だった。

熱狂が、渦巻いていたのだ。

演者だけではない。

舞台を作る人間。
照明を組む人間。
音を鳴らす人間。
裏方。
スタッフ。
そして観客。

関わる全員が、その空間の中で熱を帯びていた。

大泉工場のWAREHOUSEが、まるごと別世界に変わっていた。

僕はこれまで、Plant-Basedや発酵、空間づくり、イベントなどを通して、「人の心が動く瞬間」を作ろうとしてきた。

でも、あの日のOKS CAMPUSには、それとはまた違う種類のエネルギーが存在していた。

むき出しの熱量だった。

シェイクスピアの知識なんて、ほとんどない。
正直、今でも詳しいわけではない。

それでも分かった。

この人たちは、本気だ。

人生を賭けている。

だから、魂が揺れた。

2023年、WAREHOUSEを舞台に上演された『シン・タイタス』。

あの時、僕は直感的に思った。

これは世界に届く。

もちろん演劇の専門知識なんてない。
評論家でもない。

でも、人の心を動かすものには、理屈を超えた“圧”がある。

それを感じた。

ふと思い出したのが、2012年に母と訪れたラスベガスで観た、シルク・ド・ソレイユ『O』だった。

演者の息遣い。
水の音。
観客の空気。
張り詰めた緊張感。

身体全体で空間を浴びるような感覚。

「世界レベルの表現って、こういうことなのか」と、当時強烈に感じた記憶がある。

そして数年後、OKS CAMPUSでも、同じような感覚が起こっていた。

だから、『シン・タイタス』が世界へ羽ばたいたことを、僕はどこか必然のようにも感じている。

シェイクスピアが生きたのは、大航海時代だった。

世界が一気にひらき、人・モノ・文化・価値観が猛烈なスピードで混ざり始めた時代。

社会の前提が崩れ、人々の価値観が揺らぐ中で、彼は“人間”を書き続けた。

国家ではなく。
思想でもなく。
人間そのものを。

嫉妬。
欲望。
愛。
暴力。
権力。
孤独。

だからこそ、400年以上経った今でも残っているのだと思う。

そして今、僕たちもまた、大きな転換点の中にいる。

環境問題。
食のあり方。
AI。
テクノロジー。
分断。

世の中には、正しさが溢れている。

でも、正しさだけでは、人は動かない。

頭で理解しただけでは、行動は変わらない。

心が動いた時、初めて社会は少し、動き出す。

だから僕は、環境問題への取り組みを「我慢」や「義務」ではなく、「かっこいいもの」として社会実装したいと思っている。

GREENLITという考え方も、そのために生まれた。

環境にいいから仕方なくやる。
ではなく、

イケてるからやる。

好きだからやる。

その方が、人は続く。

さらにその内側に“熱狂”があると、その熱は周りに派生する。

演劇もまた、思想を“体験”に変える力を持っている。

頭で理解するものを、身体で感じるものへ変換する。

これは、僕が事業を通してやろうとしていることと、かなり近い。

古典を、ただ保存するのではない。

今に合わせて、発酵させる。

発酵とは、時間をかけ、微生物が関与し、別の価値へ変化していくことだ。

シェイクスピアもまた、400年という時間の中で、世界中の人間によって発酵され続けてきたのかもしれない。

ルーマニア・クライオーヴァに来て、そんなことを考えた。

人生は短い。

その短い人生の中で、何に熱狂できるのか。

誰と熱狂できるのか。

結局、それが人生の豊かさを決めるのではないかと、最近強く思う。

まだまだ未完成ではあるけれど、大泉工場にも、そんな熱を持った人間たちが集まり始めている。

共に熱狂したいという方は、ぜひこちらをのぞいてみてほしい。

僕らは常に、熱を持った仲間を待っている。
>大泉工場リクルートページ