社会人1年目、宇都宮の職場から車で数分の場所に、僕の人生を大きく変える施設があった。
「南大門」という、パチンコ店を運営する会社が経営している温浴施設だ。
当時の上司に半ば強引に連れられ、初めてしっかりとサウナと向き合った日のことを、今でも覚えている。
それから、すでに20年以上が経った。
あの日以来、僕はほぼ毎週のように、さまざまなサウナを訪れてきた。世間でいう「ととのう」という時間は、ブームになるずっと前から、僕の日常の一部だった。
数年前、日本には大きなサウナブームが訪れた。
それまで一部の人たち(主におじさん)の習慣だったサウナが、テレビや雑誌、SNSで盛んに取り上げられ、若い世代にも広がっていった。
日常的にサウナを利用していた僕にとっては、嬉しい反面、少々ありがた迷惑なところもあった。
静かだった施設が混み始める。
サウナ室に入るために並ぶ。
自分のペースで過ごすことが難しくなる。
文化が広がることと、もともとそこにあった心地よさが守られることは、必ずしも両立しないのだと知った。
そんな日本のサウナブームの中心にあった施設の一つが、静岡県にある「サウナしきじ」だ。
天然水を使った水風呂で知られ、多くのサウナ愛好家から「サウナの聖地」と呼ばれている。
先日、ようやくその「聖地」を訪れる機会があった。
平日の午後11時ごろ。
さすがにこの時間なら、それほど混んでいないだろうと思っていた。しかし、入口には入館を待つ人たちがいた。
館内の壁には、著名人のサインが所狭しと並んでいる。
長年サウナに通っているように見える人もいたが、多くは若者たちだった。
脱衣所を抜け、浴室へ入っても、人の多さは変わらない。サウナ室に入るためにも列ができていた。
正直に言えば、日常的にサウナを利用している僕にとって、そこは必ずしも落ち着ける空間ではなかった。
施設には長い歴史が刻まれている。
最新の設備が整った、洗練された空間ではない。休憩できる場所も限られている。僕が普段サウナに求めている、静かに自分と向き合う時間をつくることも難しかった。
それでも、人はここを目指してやって来る。
なぜなのだろう。
考えているうちに、「聖地」とは、最高の機能やサービスを提供する場所につけられる呼び名ではないのかもしれないと思った。
そこに物語がある。
長い時間が積み重なっている。
多くの人がその場所について語り、その価値を共有している。
そして、「一度は行ってみたい」と思わせる理由がある。
サウナを体験することと同じくらい、「しきじに来た」という事実そのものに価値が生まれているのだ。
これが、聖地になるということなのだろう。
一方で、僕の中には別の疑問も生まれた。
聖地は、誰のために存在するのだろう。
一度は訪れてみたいと思う人のためなのか。
遠方から時間をかけてやって来る人のためなのか。
それとも、その場所を長い間、日常的に利用してきた人のためなのか。
場所が有名になれば、多くの人が訪れる。
多くの人が訪れれば、新しい出会いや可能性が生まれる。その一方で、それまでそこにあった静けさや、日常的な心地よさが失われることもある。
これは、サウナだけの話ではない。
人気の飲食店も、観光地も、イベントも、街も同じだ。
人が来なければ続かない。
しかし、人が来すぎても、その場所らしさを守ることが難しくなる。
「人を集めること」と「目の前の人を満足させること」は、似ているようで、まったく異なる仕事なのだ。
そのことを、僕は今回の体験から改めて考えさせられた。
僕たちが川口市で運営するOKS KAWAGUCHI CAMPUSにも、ありがたいことに多くの方が足を運んでくださるようになった。
もちろん、もっと多くの人に知ってもらいたい。
遠方からでも、「一度行ってみたい」と思ってもらえる場所にしたい。
しかし僕が本当に大切にしたいのは、「行ったことがある場所」になることではない。
また来たいと思ってもらえること。
何度訪れても、新しい発見があること。
そして、そこで過ごす時間が、その人の日常を少しだけ豊かにすること。
聖地という言葉には、人を引き寄せる力がある。
けれど、場所を長く育てていくのは、その呼び名ではない。
目の前のお客様への小さな配慮や、日々の掃除、心地よい挨拶、丁寧につくられた商品。そうした、華やかではない仕事の積み重ねだと思う。
聖地になることを目指すのではなく、誰かの日常に必要とされる場所をつくる。
結果として、長い年月の先に誰かがそこを「聖地」と呼んでくれたなら、それはとても幸せなことだ。
でも、その順番を間違えてはいけない。
場所の価値は、外から与えられる称号によって生まれるのではない。
今日、その場所を訪れてくれた一人の満足から生まれていく。
僕たちは、そんな場所をつくり続けたい。
誰かの日常を少しだけ豊かにする環境を、一緒につくってみたいと思ってくださる方がいたら、ぜひ大泉工場の扉をたたいてほしい。
僕たちが求めているのは、完成された聖地を守る人ではない。
まだ名前のない価値を、日々の仕事から一緒に育ててくれる人だ。






