僕は、走ることが好きだ。
このコラムでも定期的に書いてきたが、今でも毎月150km前後は走っている。早朝の静かな街を走る時間は、僕にとって心と身体を整える、大切な時間でもある。
それだけ走ると、ランニングシューズの消耗も早い。
気づけば靴底はどんどん削られ、やがてツルツルになる。
普通に考えれば買い替え時なのだろう。
ただ、僕はあまり物欲がない。
新しいものを買うことにそこまで興味がないし、使えるものはなるべく長く使いたい人間だ。
だから、靴底がツルツルになったランニングシューズを見ると、「よく一緒に走ってくれたな」という気持ちになる。達成感もあるし、愛着も湧く。
結果として、なかなか買い替えない。
そんな僕が先日、満を持してランニングシューズを新調した。
久しぶりのニューモデルは、履いた瞬間は気分も上がるし気持ちがいい。
ところが1回走っただけで違和感を覚えた。
途中足を止め、色々と試してみたが改善しない。
結論から言うと、不良品だった。あくまで僕の解釈の範囲内ではあるが。
すぐに購入した店舗へ持ち込み、事情を説明した。
ただ、一度使用したシューズの返品は原則受け付けていないとのこと。
それでも現場のスタッフの方が丁寧に対応してくれ、本部ともやり取りをしてくれた結果、返金対応をしてもらえることになった。
正直、腹落ちしない部分もあったが、現場対応には満足していた。
後日、正式な連絡を受けて店舗を訪れた。
返金を受け、そのまま帰ることもできた。
ただ僕自身、そのブランドは好きだったし、スタッフさんたちの誠意ある対応にも好感を持っていた。
だから返金ではなく、別のシューズに交換しようと思った。
せっかくなら少しグレードの高いモデルにしよう。
しっかりと入念に試着をし、商品をチェックした上で、気になっていたシューズをレジへ持っていった。
するとレジを対応してくれたスタッフさんから、思いもよらない言葉が飛び出した。
「この靴は競技用だから、買わない方がいいですよ」
思わず笑ってしまった。
僕は靴を買いに来ている。
しかもレジまで持ってきている。
それなのに靴屋のスタッフが「買わない方がいい」と言うのである。
こんな経験は初めてだった。
しかし、その後の説明を聞いて納得した。
そのスタッフは、ランニングシューズとは何なのか、どんな目的で履くものなのか、競技用とトレーニング用の違いは何か、どんなスピードで走る人に向いているのか、どのくらいの距離を走る人に向いているのかを、本当に丁寧に説明してくれた。
僕の走る頻度や走る距離、感覚、なんなら結構踏み込んだ“走る目的”まで。
そんなことをヒアリングしながら、「今のあなたなら、こちらの方が絶対に良い」と教えてくれた。
この人は、僕にとって最適な選択肢を提示しようとしてくれている。
もちろん結果として商品は売る。
でも順番が違う。
先にあるのは売上ではない。
先にあるのは顧客最適だ。
だからこそ、「買わない方がいいですよ」と言える。
普通なら言えない。
売上が減るかもしれないからだ。
しかし、そのスタッフは迷いなく言った。
そこにプロフェッショナルを感じた。
感動した。
なぜなら、その人は僕自身よりも僕のことを考えてくれていたからだ。
僕はフルマラソンで記録を狙うランナーではない。
純粋に走ることを楽しんでいる人間だ。
健康のためでもあるし、頭を整理するためでもある。
その深層心理を瞬時に理解し、「あなたに必要なのはこれです」と提案してくれた。
その結果、僕はどうしたか。
勧められたトレーニング用シューズを買った。
そして、「買わない方がいいですよ」と言われた競技用シューズも買った。
結局二足である。
我ながら単純だと思う。
でも不思議と売り込まれた感覚は一切なかった。
むしろ感謝しかなかった。
帰り際、そのスタッフは満面の笑みで言った。
「僕に接客をされたあなたはラッキーですね」
普通なら嫌味に聞こえるかもしれないが、不思議とそう聞こえなかった。
むしろ心からラッキーだと思った。
最近は何でもネットで買える。価格比較も簡単だし、レビューも見られるし、翌日には届く。便利な時代になった。
だからこそ、リアル店舗の存在意義が問われている。
安さでも品揃えでも、利便性でも勝てない。
では何で勝つのか。
僕は今回、その答えの一つを見た気がした。
もちろん知識は重要だし、接客マニュアルも必要である。
ただ、それ以上に重要なのは、お客様にとっての最適解を提示しようとする姿勢なのだと思う。
僕は経営者だから売上の重要性はよく分かる。
売上がなければ事業は続かないし、理想だけでは会社は運営できない。
だから数字を追うことは必然である。しかし不思議なことに、目先の売上だけを追いかける人よりも、目の前のお客様の最適解を本気で考える人の方が、結果として大きな成果を生み出している気がする。
なぜなら、その人からまた買いたくなるからだ。
その人にまた会いたくなるからだ。
そして、その人を誰かに紹介したくなるからだ。
僕らの仕事も同じだと思う。
BROOKS GREENLIT CAFEも1110 CAFE/BAKERYも、_SHIP KOMBUCHAも数々のイベントも、本当にお客様が求めているものは何なのか。
どの商品が売りたいのかではなく、どの選択肢がお客様にとって最適なのか。
そこまで考え抜けているだろうか。
時には、自分たちが売りたいものを勧めない方がいい場面もあるかもしれない。
目先の売上よりも、長期的な信頼を優先した方がいい場面もあるかもしれない。
その判断ができる人は強い。
なぜなら、その姿勢は必ず伝わるからだ。
商品も価格も、デザインも真似できる時代。
お客様にとっての最適解を本気で考える姿勢だけは、簡単には真似できない。
あの日のスタッフは、靴を売っていたわけではなかった。
走ることをもっと楽しめる未来を売っていたのだと思う。
だから僕は二足買った。
そして今でも、その接客を思い出している。
きっとそれこそが、本当に価値のある接客なのだ。






