Design Team タナカです。
みなさんは「いき」と聞いて、何を思い浮かべますか。
私の頭に最初に浮かんだのは、アートとかファッションではなく、子どもの時に夢中だった時代劇「遠山の金さん」でした。もう世代的に知らない方も多いかもしれませんね。
「いき」とプラントベースについて考えてみたのですが、なぜこの2つを結びつけたのかというと、大泉工場ではプラントベースを「体にやさしい=地味でおとなしいもの」としてではなく、クールでかっこいいもの、あるいは個々人のライフスタイルを輝かせるものとして世の中に広めていきたいと考えています。
大泉工場にとっての「クールでかっこいい」とは一体どういうことかと勝手に思いを巡らして、日本に昔から根付いている文化や美意識と結びつけることはできないか。そう考えた時に、思い浮かんだのが「いき」でした。
四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)

江戸幕府による度重なる奢侈禁止令(しゃしきんしれい)のもと、町人たちは派手な色を身につけることを禁じられていました。贅沢を控えるためのルールですが、江戸の人たちはその制限の中で地味な色のわずかな違いや染め方を工夫しながら、お洒落を楽しみました。
そうして生まれたのが「四十八茶百鼠」と呼ばれる独自の色彩文化です。江戸時代に生まれたいき文化の一つ。48や100という数字は実際の数ではなく、「たくさんある」という意味を持つ語呂のよい表現だそうです。
特徴は大きく3つ。
▪️特徴1:色は地味(藍・茶・鼠)
贅沢禁止令があったため派手な色は着られませんでした。
しかしその制限こそが、江戸っ子のかっこよさにつながっていきました。
▪️特徴2:小さい柄(遠くからは無地)
代表的なのが江戸小紋。
ぱっと見は無地に見えますが、実は細かな柄がびっしりと入っています。
派手に見せないけれど、実はとても凝っている。
▪️特徴3:裏地だけ派手
袖が動いたときにだけ、ちらりと見える。見せびらかさないおしゃれです。
いきは地味にも派手にもなる
「いき」という言葉は、誰もが感覚的には知っているのに、いざ説明しようとすると難しい。
四十八茶百鼠のように、地味をベースにした抑制の美学として語られることもあります。ただ、今の多様性の時代では「派手」であってもその在り方次第で「いき」になり得ると思います。「いき」は文脈によって変わるため、表面的にとらえると説明しづらい概念なのかもしれません。
私なりに「いき」と感じることを、いくつか挙げてみると、人との関係や自然との関係の中にある、やさしさや思いやり。「もったいない」もここに含まれると思います。颯爽とした立ち振る舞いや柔軟さといった在り方、遊び心や軽やかさ、意外性、季節、花鳥風月への感性など。
「いき」について書かれた本も読んでみました。面白いと感じたのは、ファッションや髪型、化粧、仕草、言葉づかいといった見た目の洗練として語られがちな「いき」が、人情と深く結びついているという点でした。
人情とは、人との距離感や内面のあり方としての「いき」。
独立した生き方を尊び、きっぱりと潔くあること。そんな価値観のように感じました。
いき = 粋、意気、息、生き
ここまで「粋」をひらがなで「いき」と書いてきたのは、本の中で「いき」が「粋」だけでなく、「意気(意気地)」や「息」、そして日本特有の「生き方」のひとつとして捉えられていたからです。
何を選び、何を生活に取り入れるのか。それは単なる消費行動ではなく、その人の生き方の一部でもあります。普段の生活でカフェでプラントベースを取り入れるという選択を、地球にとっても、ライフスタイルとしても、健康にとっても、その人自身が気分がよく、前向きな選択にしてほしい。
まだ答えは出ていませんが、大泉工場のプラントベースの奥に「いき」があり、それが誰かにとっての「いき」な選択になる。
そして、毎日の暮らしの中でいきいきと楽しんでもらえたらいいと思っています。


