昼と夜が、半分ずつになる頃に。見えない境界線の話。

大泉工場でPRを担当しております、加藤です。

まだまだ暑い日が続いていますが…8月はあっという間に過ぎ去っていき、そろそろ9月がやってきます。

そんな9月にある暦的な大イベントの1つが、昼と夜の長さがほぼ同じになる9月23日の「秋分の日」です。

昼と夜、光と影、明るさと暗さ、などなど、相反するものが、ほぼ半分ずつになるなんて、なんだか、とても不思議で、美しい日だなぁと思いませんか?

ということで今回のコラムは、「秋分の日」に向けて、「境界線」について考えたお話です。


どちらか一方が「正解」なのか?

わたしたちは、つい物事を2つに分けて考えがちです。

善、悪。

成功、失敗。

ポジティブ、ネガティブ。

進む、止まる。

増える、減る。

なんとなく片方を「良いもの」として捉えてしまいがちですが、自然を見ていると、どうもそんなに単純ではなさそうです。

昼だけでは1日は成り立たず、

夏だけでも1年にはならない。

植物は、芽を出し、成長して花を咲かせるだけではなく、次の季節を待つ準備期間に向けて葉を落とす期間があります。相反するもののどちらかをなくすのではなく、両方が存在しながら自然は巡っています。

だとしたら、「バランスがいい」というのは、全てがきれいに半分ずつになっている状態ではないのかもしれません。

「発酵」も、ひとつでは成り立たない

そんなことを考えていたら、ふと、「発酵」のことを思い出しました。

大泉工場では「_SHIP KOMBUCHA」をつくっています。

コンブチャは、お茶を発酵させてつくる飲み物です。

甘さがあり、酸味がある。

お茶の香りがあり、発酵によって生まれる複雑な風味がある。

そして、その味は何かひとつだけでできているわけではありません。

甘いだけでもない。

酸っぱいだけでもない。

いくつもの異なる要素が重なり合って、わたしたちが「おいしい」と感じるひとつの味になっていき、さらに発酵そのものも、微生物、温度、時間、環境など、さまざまなものの関係の中で進んでいきます。

どちらかを消してひとつにするのではなく、異なるものがそれぞれ存在していること。「違うものが一緒にあること」って実はすごく大切なのかもしれないし、「発酵」って、そんな現象でもある気がしています。

「陰」と「陽」は、敵同士じゃない

東洋には古くから「陰陽」という考え方があります。

「陰」と「陽」という、一見すると反対に見えるものがお互いに関係しながら世界を形づくっている、という考え方です。

ここで陰陽論を語ることは難しいのですが、「片方だけでは成立しない」という考え方にとても共感しています。

夜があるから、朝がくる。

静かな時間があるから、動き出す瞬間がある。

失敗した経験があるから、次に変えられることもある。

どちらか一方だけを「良いもの」と決めてしまうと、本当は必要だったもう片方まで、遠ざけてしまうのではないか…?

そう考えると、バランスとは「真ん中でじっと止まっている状態」ではなく、違うものの間を揺れながら変化し続けている状態なのだと思えてきます。

揺れているからちょうどいい。

昼と夜が半分になる「秋分の日」を境に季節は常に動き続け、日々、その割合も変わっていきます。その変化を繰り返しながら、一年という大きな循環がつくられています。

人も、社会も、そして地球もきっと同じなのかも。

いつも完璧に均衡している必要はなく、どちらかに傾く日もあれば、反対側へ戻ってくる日もある。大切なのは、揺れないことではなく、揺れながら変化していけることなのかもしれません。

「発酵」もまた、変化です。

異なるものが出会い、影響し合いながら、もともとは存在しなかった新しいものへと変わっていく。「発酵」という言葉には、そんな意味もあるのだと思っています。

日本には、ものとものの境目やその間にある曖昧な領域を意味する「あわい」という言葉があります。

昼と夜。
光と影。
甘さと酸味。

はっきりとどちらかに分けられない、その境目にこそ生まれるものがある。

_SHIP KOMBUCHAにも、甘さと酸味、お茶の香りと発酵が生む複雑な味わいが重なり合う、その「あわい」のおいしさがあります。

昼と夜がほぼ半分ずつになる「秋分の日」。

少しだけ立ち止まって、いつもよりゆっくり、一杯のコンブチャにある「あわい」を味わってみませんか?